
私は、くま子とくっくという大切な2頭の犬を、血管肉腫という同じがんで亡くしました。
この子達のがんから、がんになった時、飼い主同士で語り合える場があったらという思いで、MLなどネットでの活動をはじめました。
残念なことですが、天国に旅立たれたお知らせを受けることも多く、それぞれの最期をお聞きする度にたくさんのことを感じます。
逝き方というのは、まさに生き方なのではないでしょうか。
そして、それは、犬猫の場合、飼い主の思いなのだと思うのです。
停留睾丸の子で、がんになり、再生不良の極度の貧血で、供血のお願いを頂いたこともございます。
善意の方にご協力頂いて、輸血ができても、予後は厳しくて、悲しいお知らせを頂くことになりました。
もし、早くに去勢をしてあげていたら・・・そう思うと、まだ若いのに天国に渡ったその子に複雑な気持ちになります。
私は、乳がん、精巣腫瘍など、避妊去勢をして、予防してあげられる病気は、予防するべきと思っています。
避妊去勢は、色んな面で、大切だと感じていますが、避妊去勢をされないのも、それぞれの飼い主さんのご判断だとも、考えています。
ですが、避妊去勢をしないことを選択したのなら、その選択に対し、自己責任があるのですから、
「去勢していないから、雄犬にはケンカをしちゃうの。」
「マウンティングは、雄犬は仕方ないのよ」
なんて、言い訳にはしてはいけないと思うし、まして、避けられた病気に対しては、きちんと管理してあげるべきだと思うのです。
避けられるべき病気で、命を落としたり、まして、第三者の犬に供血のお願いをされるのは、自己責任の中での管理をされているのか、正直、お手伝いをさせて頂きながらも、もやもやとしてしまうものが少しあるのです。
しつけに関して御相談を受けたある子は、飼い主が触ることもできず、フィラリアの検査やワクチンの時は、毛布を2枚持参して、体中を覆い押さえこんでするそうです。
その子は、とても怖がりで神経質な子で、飼い主はその子が寝ている姿も、食餌をしている姿も見たことがないそうです。
誰かがいたり、何か物音があると、ピリピリって緊張して、寝れないし、食べれないのです。
そんな子ですから、何かあっても、検査もできないし、入院もできません。
その子の獣医師は、私に、
「あの子は、今の生活を変えたり、獣医師の治療を受けたりすることを選ばず、今のままで、何かあっても、病院に行くこともなく最期まで過ごしたほうが幸せだと思う」
と言われました。
とても悲しい選択ですが、それも一つの選択であるように思いました。
病気の治療の選択に、
「この子は病院が嫌いで、とてもストレスがかかるから、入院がかわいそうでできない。」
と、おっしゃる方もいました。
私も、くっくが長期入院したときには、犬に囲まれ、吠え声がする中にいることのストレスをとても心配しました。
日々困っていること、ケアやトレーニングが不足している部分は、日々だけではなく、命、その子の最期の選択にも、大きく関わってしまうのを、ひしひしと感じるのです。
また、がんの治療は、何が正しいなんてありません。
治療をするのかしないのか。
外科手術をするのか、抗がん剤治療をするのか、抗がん剤は何を選択するのか、どの病院を選ぶのか。
まさに、飼い主さんが、その子を思う気持ちや、その子との生き方が、治療の選択になります。
そして、がんは特別に訪れるものではなく、それは突然宣告を受けます。
蚊に刺されたような小さなおできが、がんであったり、少し元気がないなって思ったら内臓にがんがあったりします。
くま子達の血管肉腫は、症状もなく、普通にしていた子が、いきなり脾臓からの大出血で生死をさまよいます。
ですから、普段から、そういったことも考えて、きちんと対応できる病院を選んであげていないと、その時、大変に困ってしまうことにもなってしまったり、ご自身の望む治療の選択ができなかったりもします。
どの子もみんな、飼い主のその子への意識や愛情や考え方が、そのまま、その子の生きかたになって、最期まで決めているのを、いつも真摯に感じ、我が身のこととして考えさせられます。
西山先生の本にも、様々な子が様々な姿で、懸命に生きていました。
そして、どの子もその生き方には、飼い主の人生と重なっているのでした。
どの方にも、今、読んで、大事にして頂きたい一冊と思いました。
元気な子、若い子の飼い主さんにも、読んで欲しいと思いました。