ほんわり*ふぁ
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今ということ
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こふままさんから、素敵なカードを頂きました。

この写真を見た時、最初、なんだかすごーーく変でした。
この風景、この桜。私は、はっきりと覚えているのです。
そして、そこには、小雪ちゃんが、真っ白な姿でいたのです。

普段、通っている風景ならそんな違和感はなかったのでしょうが、私にとっては、記憶の中の大事な絵で、風景は、その絵とセットのバックでしかなくて・・・・。
なので、なんとなく贋作(^^;)を見ているような、そんな気持ちにすらなりました。(笑)

この子達は、みんな二世なんだそうです。
どの子も以前愛されていたワン達の思いをついで、そこにめぐり合った子達。

そういうものなんですよね。
マックのママのお腹の中で、すくすくと赤ちゃんが育っているように。。
新しい、可愛らしい笑顔がそこにいるんです。

なんて素晴らしいことなんだろうと思いました。
こふまま、本当にありがとう。。

友人からメールを頂きました。

「人間もワンもいかに死ぬか ということは、究極 いかに生きていくか 生きたかということ」
だと書かれてありました。
死のことは、それまでの部分を外しては語れないし、死だけを語るのは意味がないのですよね。

死を考える事は、生き方を考える事。
そんな大きな事なのに、その死の一つの安楽死だけをポンと取り上げて考えたり、語ったりするのは、なんて不自然なことなのかしらっと思いました。

以前、kuroさんが、ブログのコメントで書いて下さったことと重なるのですが、治療も看病も同じだと思います。

何も治療方法がなくなった時、サプリや色んなことに私達は走ります。
苦しそうで、何も食べてくれない時、どうしたらと悩みます。
でも、本当に大事なのは、それまでをどうしてあげていたか、それが、本当のケアなんですものね。

何人かの方が、お亡くなりになったご家族や、もしも世界が100人の村だったらという番組などの、人の死や生き方と、ご自身の犬やくま子を重ねたメールを下さいました。
私も、くま子達と、昨年なくなった父のことを何度も何度も色んなシーンで重ねました。

くまこは、倒れてからの散歩で、足がふらつきながらも、少しだけ歩くことがありました。
そんなとき、少し先を見ながら、とても行きたそうにしながら、立ち止まっていました。
あそこまでと思う気持ちと、歩けない体と、相談しているようでした。
緑の中、走りたかったのでしょう。
あの時の目は、なんともいえませんでした。

父もよく、「もう一度、釣りに行きたいな」「ゆっくり旅行したいな」と言っていました。

病気と闘っている子達を支えているのは、辛い今、傍にいてくれている飼い主さんだけではなくて、飼い主さんと、走り回った草原や海や、一緒に遊んだ思い出や、ごろごろ甘えた日々の、たくさんの思い出の中の飼い主さんも、一緒に支えているんだと思います。

そして、私も、そんなたくさんのくま子の思い出に支えられているんだとしみじみ思いました。

私がこんなことを言うのは、どうなのかしらとも思いますが、
できることなら、どうか、元気な今を何よりも大事にしてあげて下さいね。
いっぱい、いっぱい遊んであげて下さいね。
問題犬と、いっぱい格闘してあげて下さいね。
もしもし、具合が悪くなった時には家の中に・・っと思っている優しい方がいらっしゃいましたら、どうか、今、家の中に入れてあげて下さいね。

くま子が幸せかどうだったかは、私には、一生語れません。
でも、私は、くま子がいてくれて幸せでした。

多分、くま子と再会した時にも、「幸せだった?」って聞かないと思います。
ただ、会えてうれしいって抱きしめちゃうだろうなって思います。
by phacelia | 2005-05-15 23:36 | 犬 病気のこと